【Q】七種泰史
写植の時代からデジタルの時代になり、文字の質の低下をいわれます。みなさんはどう思われますか。

【A】棚瀬伸司
デザイン誌や各種デザインに携わる団体、個人にとってはそうでしょうけど、一般にとってはその違いが分からないと言うのが実際の話じゃないでしょうか。デザイナーでも文字の使い方に無頓着な人もたまに居ますし。(じゃあ、自分はどれだけ気をつかっているのか?)

【A】奥村昭夫
なにごとに於いても短い時間内を比べれば低下・向上はあるが歴史がその答を出す。

【A】池上貴文
デジタルの時代になり、それまでにない制約の中で文字を創らなければならなかったということもあるのではないでしょうか。それらは技術革新が解決してくれることと信じています。それより私が感じているのは使い手の技量低下ですね。

【A】伊勢谷浩
制作時間やギャランティ(買取りにしろロイヤリティにしろ)の低下が文字の質の低下に繋がっているのだと思います。制作費が減少すると当然それに費やす時間も少なくなり、じっくり出来ないのではないでしょうか。写植時代は2〜3年かけて1書体制作していたものが(勿論、個人差はあると思うけど)、いくらデジタルで制作時間が短縮されたとはいえ、半年もあれば出来てしまうと言う。しかも文字数も増えてね。これを一人でやるとなると、単純計算で一日約42文字ペースという事で、それだけでまるまる半年掛かってしまう。ただ作ってゆくだけでも大変なのに、とても修正や微調整などの時間的余裕がないよね、きっと!(私にはとても無理だけど)それに最近、安すぎる位のデジタルフォントが出てきてるけど、何だか首を締付けられる思いをするのは、私だけかしら?
 できるものなら、せめてデザイン界での薄利多売的な行為はやめて、もっと「もの創りの文化」を高めたいと思うけどなぁ(すこし言葉が気恥ずかしいけどね)。

【A】神田友美
質の低下とは良くないフォントが増えたということでしょうか。文字に対する認識が甘くなったということでしょうか。写植を経験していないので比較するのは難しいです。

【A】長谷川眞策
デジタル化により、一部の書体は容易に作成されるようになった。FONT1000の書体も100%デジタルです。自分で作った文字がパソコンで打てる感激は乾杯ものですが、フォントが世に出ていく以上、文字の最低限の基礎はしっかり把握したいものです。文字の質の低下がいわれているとしたら、実物を見ないで嘘を書いているイラストレーターが目立つのも似たようなものかもしれません。

【A】西田一成
かつてあんなに写研のOKLだ、KOSだとこだわっていたのに、MACを扱うようになったら書体の選択さえ出来ない。大阪と京都(懐かしいな〜)だけ。アウトラインフォントにともない細明朝と中ゴシックがでて、その後、写植メーカーが自社書体をベースにしたフォントを発売してきた。書き起こしとはいえ性急過ぎてベストとはいえない。ソフトを使用して制作出来る様になった事もあり、にわか書体デザイナーが出没した。いわゆる形体のルールすら知らない(無視した?)書体が出回って来たのも事実。書体の表情としては面白いが、基本を押さえた書体となると少ない様に思う。

【A】鈴木正広
この場合の文字の質とは本文用書体を対象にしているものと思います。文字の質とはうまい文字だとかへただとか、文字の機能性であったり、整然とした組版、文章の読みやすさ、字形の面白さだったりします。いろいろな評価がありますが、文字の良さを評価するとき、書の良さがあまりわからない私としては、文字の表情や文章の表情で文字の良さを判断することにしています。
 今のデジタルフォントは、活字や写植の時代と比較すると文字数が少なかったり、職人の手作りの味みたいなものが薄れているように思います。パソコン等のハードによる制約があったり、近ごろのフォント価格の低下もフォント開発を困難なものにしています。等々、いろいろな原因で文字の質の低下を招いているかもしれません。しかし、デジタルで文字を制作する場合、デジタルならではの特性を生かした文字デザインが現われることも当然のことと思います。その時代の技術が文字デザインに影響を与えたといえるだろう。それは必ずしも質の低下とはいえません。
 デジタルフォントが開発されるようになって10年程経ったわけですが、フォントの現状は書体数が増え、ウエイトのバリエーションが増え、個人でも手軽に何書体も保有することが出来るようになりました。いずれは品格を保った質の高いフォントが多数登場することだろう。

【A】土屋淳
質が低下したというより、粗悪な書体が新たに増えてきたように思えます。しかし、それは不特定多数の人達に書体制作のチャンスが広げられたことであり、むしろ歓迎できることだと思います。また、デジタル故に実現できたアイデアや表現もあります。
 写植の時代から支持されている書体は、デジタルになっても質はだいたい保たれているのではないでしょうか? ただ、今日の流れの中で、デジタル化へ向けた書体制作にかける時間とコスト、そしてソフトやハード間に問題がでてきます。結果、活字・写植レベルに満たないクオリティの書体があることも事実ですし、残念に思います。

【A】味岡伸太郎
DTPの始め、写植からDTPに切り替える頃のことだが、自作のフォントの制作が間に合わないわずかな時間だが、モリサワのMB31以外に使える書体がなかったため、その一書体で全ての仕事をしていた時期があります。それこそ和菓子であれ洋菓子であれ、名刺の住所であれ、業種にもサイズにも関係なく、MB31の一本やりです。無茶苦茶だがそれはそれで新しい発見があり楽しいものです。何といっても面倒な書体選びがないのがある種の快感でした。
 活字から写植に移った時もそのような文字品質の低下が話題になりました。活字に対して写植の弱さやオフセット印刷の不安定さが問題でした。そのことは写植の時代が終ってしまった現在でも解決されずにDTPの時代に移ってしまいました。私はといえば、もちろん古い活字の時代の印刷本をながめては溜息をついている、古いデザイナーです。事務所にはアダナの活版印刷機や新聞一頁を刷ることのできる校正機もあります。しかし、そんなこと言っていても、それこそ始まらないのでとにかくデジタルの時代にふさわしい書体を我々の手で作るしかないのです。